夢と楽しさを伝えるコンセプトカー
わずか100数十年という短い歴史で人の生活にとって欠かせない存在になり、様々な文化潮流を生み出してきたクルマ。いうまでもないが、当初より、エンジンと4つのタイヤなどから成る駆動系の上にシートやボディパネルなどが乗っているという構造、人が操作することがクルマの大前提だった。しかし、それは段々と薄れつつある。エンジンはモーターに代わり、燃料はガソリンから電気に代わり、人工知能に等しい精巧なコンピュータが搭載され、ステアリングを握るのは人間ではなくクルマ自らが社会とコミュニケートする。そんなことになっていくには、おそらく大した時間を要さないのでは、と常々考えてしまう。何というか、リアル『カーズ』の時代も遠くなく、将来はクルマも笑ったり、泣いたりするようになるのではないか、と夢想してしまうのはおかしな考えだろうか。
んじゃあ、人にとって楽しいものではなくなるのかというのは、なしのつぶてのような議題で、大人に投げかけても大した返事がこない。多くのクルマ好きの大人たちは、クルマは人が操るべきであり、人が遠くへ行く、あるいは速く走るための“道具”であるべき、と未だに思っているはず。それには賛同するし、クルマの完全な自動化が実現すれば、おそらく“足”としての役割の方が、より色濃くなっていく可能性が高いと考えられる(が、真逆の意見も多い。現時点では何もかも断言できない、あくまで私見)。繰り返しになるが、たかだか100数十年。文脈が大きく変わっても地球上の歴史にとってはさしたることではない。むしろ電動化、自動化に肯定的な意見をもつ方がマジョリティだろう。でも、せっかく培ってきたわけだし、文化や楽しみは残しておいて、後世にバトンタッチした方が後腐れないんじゃなかろうか……。それには、今を生きる子供たちにクルマの存在に興味をもってもらう必要がある。「クルマって楽しい!」「大人になったらクルマを運転したい!」という幼き記憶が支えになるかもしれないのだから。と、前置きが長くなってしまったが、ここからが本題である。