南ドイツに集中する名門ブランド
自動車史を語る上で外せない3つのブランドの拠点が南ドイツにはある。世界最古の自動車ブランド、メルセデスベンツを筆頭に、今年100周年を迎えたBMW。そして我々がフォーカスしてやまないポルシェ。(ちなみにフォルクスワーゲンの本拠地は、ドイツ北部のヴォルフスブルク。)
ポルシェの本拠地はメルセデスベンツと同じくドイツ南西部の都市シュトゥットガルトにある。ドイツの自動車パーツ最大手、BOSCH(ボッシュ)もこの地に本拠地を置き、そんなことから重い空気の漂う工業都市と連想しがちだが、実際は 雄大な山並みに囲まれた企業都市といったイメージ。むしろきちんと整備された生活環境が、どこか精密さを求めたドイツ製品のプロダクトを連想させる。
前述の3ブランドの本拠地には、巨大なヘッドクウォータービルディングと生産プラントに加え、フィロソフィーを体現した洗練されたミュージアムが存在する。今回、我々はポルシェのルーツを探るべく2009年にオープンしたばかりのミュージアムを訪れた。
ポルシェの偉業はEVからはじまる
ミュージアムの外観にも増して、その内部はポルシェのアイデンティティーに満ちている。ポルシェというブランドがこれまで歩んできた道のりを時系列に順序良く、そして当然のごとくレースの歴史と絡めて見せてくれる。そう、今も昔もポルシェの歴史はすなわちスポーツカーの歴史なのである。しかし、その第一幕はポルシェの産みの親、フェルディナンド・ポルシェ博士の意外な偉業から始まる。1898年に発表されたポルシェは何とEV。そもそもEVの歴史はすでに100年以上も前から始まっており、ポルシェの歴史もそこから始まっている。ここでは多くは割愛するが電動モーターをメイン動力にした自動車がポルシェの手により19世紀後半に誕生していたのである。しかしながら、いつしかガソリン生成の技術革新や内燃機機の劇的な進化によってエネルギー効率の上で劣るEVは衰退の一途をたどり、レシプロエンジンを積んだ自動車が文字通り歴史を牽引していくのである。
フェルディナンド・ポルシェ博士と、その息子、フェリーポルシェによる356の開発。そして、博士の孫にあたるアレクサンダーポルシェによる911の誕生に至るまで、ポルシェ哲学に基づいて生まれたボディーシルエットこそが、今日までの印象を決定付けたと言っても過言ではない。今や子供から大人まで、誰もが必ず思い浮かべることができるあのシルエット。まさにエンジニア魂が受け継がれた世紀の大発明なのである。
トランスアクスルの時代 – 924から928まで
2016年10月中旬まで特別展示として、理想的なスポーツカーを目指して1970年代~90年代初頭に登場し、トランスアクスルのパワートレーンを導入したポルシェ924、944、928、968といった派生モデルを一堂に展示。(我らがチーフディレクター神保の愛車はポルシェ924S)。仮に911をオールドスクールと例えるなら、トランスアスクルのモデルは、常に911を超えるモデルとして開発されつづけてきたニュースクール。限りなくボディ後方にエンジンをマウントする911のレイアウトに対し、フロントに配されたエンジンとトランスアクスルを介して後輪を駆動するFRレイアウトは、50:50の重量配分と理想的な操縦性を生み出す。後に日本車のスポーツカーの基礎にもなったことは言うまでもないが、歴史上あまり顧みることのなされなかったこれらのモデルが集められ、ポルシェミュージアムというこれ以上ない晴れ舞台でフィーチャーされた展示は、ポルシェならではなヒストリーが生み出した貴重な展示であることをおわかりいただけるだろう。
Roots of Your Car
本稿ではポルシェミュージアムのみに留めておくが、我々はメルセデスベンツ、BMW、そして、アウディのミュージアムおよびヘッドクウォーターまで数日のうちに足を運んでいる。どのミュージアムもブランドの歴史を紐解くという同じテーマにもかかわらず、設立時期やメーカーの打ち出すコンセプトは様々なだけに、その手法や環境、雰囲気は全く異なり、決して飽きることはなかった。それに国土の隅々まで毛細血管のように延びるアウトバーンを使えば、無理なく数日で南ドイツを見て廻ることだってできる。(日本国内では決して許されない速度で高速巡航することだって可能!)そろそろ我々のポルシェ914もまもなく修理からあがってくる頃。修理を待つ間に国境を超えてブランド誕生の地をドライヴするのも悪くない。